nishiko's kitchen

2017年2月生まれの息子のこと、好きな料理の事、思いのままに綴ります

伝わる言葉のチョイスできる人って素敵だなぁ

自分という人間を表現できるようになりたい。ブログ Twitter で様々に表現をしている人を見ると本当に羨ましくなる。

ブログを書こうとしても言葉が全然出てこない。本を読むのも好きだし、小難しい動画を見るのも好き。でも何かを書こうと思った時に、白紙の画面の前でフリーズしてしまう。

言葉が出てこない。

きっと書くということも筋トレなんだろうなと思う。読んだり、聞いて理解するということとはまた別の筋肉。書くに限らず表現するということそのものがそうなんだろうけども。

自分自身を言葉で表現する、ということは本当に必要だと心底思う。

今まで出会ってきた人の中でもキレやすい人って一定の割合でいたけれど、つまりは自分の気持ちを言葉にできなくて、それを怒りという感情表現で投げつけてきているだけなんだ。

気持ちを言葉にできなくて、泣くことでしか不快感を表現できない子供と一緒。

そんな大人恥ずかしいし、感情的になる事って実は苦しい。

毎日少しだけでも文章を書いていこう。

難しいことは考えずに、たわいもないことを少しだけ。

 

ところで今の私の課題は夫との関係だ。

夫のことをどうしても好きになれない。好きになれないと言うと語弊があって、本当のことは普通に好きだ人間として。でも夫が求めているほど私は夫のことを好きになれない。

先日の一件があって以来、また同じように問い詰められるのが嫌で、がっつり距離をとって暮らしている。

具体的には

家事育児は一切手伝わせない。

挨拶はきちんとする。お礼はきちんと言う。

それなりの世間話はする。

多分、普通に周りから見たら、何の波風もない平和な家庭。

でもそれは私からしたら、相手に付け入る隙を与えたくないから、相手に不満を持たせないように心を殺して淡々とやっているだけ。

そこには感情も何もない。心を無にして暮らしている。

だから夫がいる土日がとても疲れる。

ボロが出ないように私は神経を張り詰めている。

どんなに騒がれてもわがままを言われても子供達だけといる方がとても気が楽だ。

多分、私にとって一人でいる時が一番楽で、次は子供達といる時だ。どんなにわがままを言われても泣かれても子供たちのことが好きだから大丈夫なんだとおもう。

 

他人と暮らし続けることの難しさ。

心の距離を物理的に言うと、私は10 M は離れていたい、それ以上入って来られるのはただただ不快。

でも相手は5 M で暮らしたいと思っている場合、どうしたらいいんだろう。

お互いが我慢せずに暮らしていける方法を探りたい。