nishiko's kitchen

2017年2月生まれの息子のこと、好きな料理の事、思いのままに綴ります

後悔しないように生きるということ

友達のお母さんがケーキ工房を始めたそうだ。

年齢はよく知らないが、同世代の友達の親だから70は超えているだろう。

後悔しないように生きたいと言って始めたそうだ。素直に素敵だと思う。

 

エネルギー、好奇心に溢れた人すごいなあと思う。自分が納得いくまで追求していないと後悔するってことなのかな。

対して私は、そこまでエネルギーは強くない。

今の現状に満足するのは得意なほう。

このまま大した成長がなくダラダラと一生を終えたとしても、いい人生だったなと思える気がする。

だらだらと一生終えるっていうのも簡単なことじゃないけどね。

でももし今死ぬようなことがあれば、それは絶対に後悔する。まだまだ子供と離れたくない。子供の成長をそばで見守りたい。

病気の早期発見と、事故を避ける。

私が後悔しないためにすることはこの二つぐらいかな。

キラキラした夢ではないけど。

言葉にする勇気

朝からモヤモヤしてしまったのでブログに吐き出す。

息子を幼稚園に送り、着いたところで顔は2箇所蚊に刺されているのを発見。

いつもの受け入れの先生なら、「薬塗っておきますよ」と言ってくれる。

でも今日の受け入れの先生は、ちょっとぼーっとしていて気がつかない先生(この言い方もどうかと思うけど)で、「〇〇くんは柔らかくて美味しそうだからねー」としか言わない。

私が「この子肌が弱いのですぐ薬を塗らないと大きく荒れちゃうです。。でも今私薬持ってなくて、どうしよう、、」みたいなことを言っても「そうなんですかー」としか言わない。

ここで私が、申し訳ないですけど薬を塗ってもらえますか?とまではいかなくても、ちょっとお薬お借りしてもいいですか?くらい言えばよかったんだと思う。

でもなんとなく面倒に感じてしまって、なんとかなるか、諦めてしまった。

帰ってきてから無性に息子のことを気になって仕方ない。

痒いだろうなぁ、引っ掻いちゃってるかなあ、帰ってきてから薬行ってもなかなか治らないんだよな、強めのステロイドになっちゃうな、刺されてすぐならステロイドの入ってないムヒでもイケたのに。。

こんなにモヤモヤするくらいなら、その場で勇気を出して言えばよかった。

私の人生においてこういうことがとっても多い。

小さなことを面倒がって後で大きな後悔をする。本当に小さなことなんだけど、空気の流れを断ち切って自分の要望を言葉にするのは、私にとっては勇気がいることで。勇気を出すことが面倒だと感じてしまう。

今は子供が二人いて、これによって不利益を被るのは私だけじゃないのだから、そういうところも直していかないとな。

話の流れをぶった切って発言する人を見ると、不快感よりも、羨ましいと思っていた。

今となっては、それを意識にやってしまっているわけだから、その人もそれによって苦しんでいるのだろうということはわかるけど。

まとまらないけどなんかそんな感じ。

伝わる言葉のチョイスできる人って素敵だなぁ

自分という人間を表現できるようになりたい。ブログ Twitter で様々に表現をしている人を見ると本当に羨ましくなる。

ブログを書こうとしても言葉が全然出てこない。本を読むのも好きだし、小難しい動画を見るのも好き。でも何かを書こうと思った時に、白紙の画面の前でフリーズしてしまう。

言葉が出てこない。

きっと書くということも筋トレなんだろうなと思う。読んだり、聞いて理解するということとはまた別の筋肉。書くに限らず表現するということそのものがそうなんだろうけども。

自分自身を言葉で表現する、ということは本当に必要だと心底思う。

今まで出会ってきた人の中でもキレやすい人って一定の割合でいたけれど、つまりは自分の気持ちを言葉にできなくて、それを怒りという感情表現で投げつけてきているだけなんだ。

気持ちを言葉にできなくて、泣くことでしか不快感を表現できない子供と一緒。

そんな大人恥ずかしいし、感情的になる事って実は苦しい。

毎日少しだけでも文章を書いていこう。

難しいことは考えずに、たわいもないことを少しだけ。

 

ところで今の私の課題は夫との関係だ。

夫のことをどうしても好きになれない。好きになれないと言うと語弊があって、本当のことは普通に好きだ人間として。でも夫が求めているほど私は夫のことを好きになれない。

先日の一件があって以来、また同じように問い詰められるのが嫌で、がっつり距離をとって暮らしている。

具体的には

家事育児は一切手伝わせない。

挨拶はきちんとする。お礼はきちんと言う。

それなりの世間話はする。

多分、普通に周りから見たら、何の波風もない平和な家庭。

でもそれは私からしたら、相手に付け入る隙を与えたくないから、相手に不満を持たせないように心を殺して淡々とやっているだけ。

そこには感情も何もない。心を無にして暮らしている。

だから夫がいる土日がとても疲れる。

ボロが出ないように私は神経を張り詰めている。

どんなに騒がれてもわがままを言われても子供達だけといる方がとても気が楽だ。

多分、私にとって一人でいる時が一番楽で、次は子供達といる時だ。どんなにわがままを言われても泣かれても子供たちのことが好きだから大丈夫なんだとおもう。

 

他人と暮らし続けることの難しさ。

心の距離を物理的に言うと、私は10 M は離れていたい、それ以上入って来られるのはただただ不快。

でも相手は5 M で暮らしたいと思っている場合、どうしたらいいんだろう。

お互いが我慢せずに暮らしていける方法を探りたい。

夫との関係について思うこと

先日の一件があって以来、家事を夫に頼むことがすごく嫌になったので、夫が帰ってくる前までに全ての家事を終わらせて寝かしつけをして顔を合わせずに私も寝てしまうという毎日だ。

シンクを磨くとやればやるだけ綺麗になって頭の中もクリアになっていく。

そうだ。私は夫の弱みにつけ込んでいたのかもしれない。

今思えば結婚を決めた理由も、夫が私のことをとてもとても好きだったから。これほどまでに盲目に好きになってもらえるなら、この先どんなことがあっても何とかやっていけるのかなと思ったから。

年齢的にも焦っていたし、早く子供も欲しかったから、自分が夫のことを好きかどうかという気持ちには一旦蓋をしたのだと思う。

子供ができるまでは、なんとなくきいていたごまかしもだんだん綻びが出てくる。

子供ができる前は、好きかと聞かれたら、少し面倒だと感じても好きと答えられた。

でも今私が本当に好きなのは子供たち。子供達に本心からの好きを伝えれば伝えるほど、夫に嘘の好きを言うのがしんどくなる。

夫は友人としては最高だった。

夫の気持ちが冷めてフラットな関係に戻れば私たちは良い関係になるのだろうか。

それとも、夫のテンションに私が表面上だけでも合わせる努力をした方が良い関係になるのだろうか。

 

夫との大喧嘩

昨日夫と喧嘩をした

事の顛末は以下の通りだ

夫は残業で多分11時頃帰宅。私は上の子のお迎えに行き一の子と一緒にお風呂に入れ、ご飯を食べさせ、歯磨きをさせ、寝かしつけたのが9時頃。

その後起きて食器の後片付け、洗濯をやろうと思っていたが、そのまま寝落ちしてしまった。

我が家の分担では、食器洗いと洗濯は一応旦那の仕事になっている。

昨日は洗濯物も数が多かったし、旦那も残業だったから、旦那が帰ってくる前に私がやろうと思っていたのだが、うっかり寝落ちしてしまって、夫が乱暴に洗濯物を干している音で目が覚めた。

洗濯物ありがとうごめんね。一緒にやろう。

と言っても、いいから寝ていろと取り合わない。明らかに不機嫌。とりあえず居場所もないので布団に戻った。

その後一人でだいぶ飲んだらしく、

寝室に私を起こしに来て、酒臭くなり真っ赤な顔で、あんたは俺のことを愛してない好きじゃない、自分はこんなに好きなのに何で好きって言ってくれないんだと、延々と言ってくる。

いきなりなんだよ?はい、正直好きじゃないです。

ここからは私の推測だけど

私が洗濯と食器をの片付けをしていなかったことで、自分がやるのが当たり前と思われてることに対して腹を立てたんだろう。でもそんなこと言ったら自分の器が小さいことがばれるから、やることが当たり前と思われている=大事にされてないという図式にして、私があなたを大事にしてないのが悪い、好きって言わないのが悪い、モチベートしないのが悪い、と言ってきたということこだろう。

好きどころかネチネチそんなこと言ってくる奴なんてむしろ嫌いだ。

俺のこと好きなのか?何十回も聞かれた。

でも絶対好きとは言いたくなかった。

嘘はつきたくなかった。

でも正直に私の気持ちを言えば全てが壊れると思った。

だから黙っていた。

 

そしたら自分の部下の話を引き合いに出してきた。

その使えない部下は自分の意見を言わないと。

自分が何か言うまでずっと待ってると。そして自分が何も言わなければそれでおしまいなのだと。

あんたも一緒かと言われた。

なんだよ煽ってるつもりか?乗るかよそんなに。と思った。その部下だって正直に言えばあんたとの関係が破綻すると思って言えないんでしょ。どっちが上とか下とかではなくて、同じプロジェクトを進めてる者同士で人間関係が破綻した時のデメリットを考えてその人は思うところを正直に喋れないんでしょう。そうやってまた理詰めにして、相手は悪いことにして、追い詰めてるんでしょう。

部下の気持ちめっちゃわかるかわいそう。

 

そもそも食器洗いも洗濯物も私がずっとやっていた。

やるのが当たり前と思われながらやっていた。

だから分かるよ。夜みんなが寝静まった後に、一人で起きて、ぐちゃぐちゃになったシンク綺麗にして、ぐちゃぐちゃになった洗濯物を仕分けながら、何とも言えなく虚しくなる気持ちは。

そこで私が冷静に話し合いをしたよね。

このままでは気持ちがしんどいから家事を分担したいって。方法を一緒に話し合おうって。

あんたがそこで、その虚しさを全部私のせいにして理屈で追い詰めてくるわけね。

ほんとしょうもない男だな。

そこで嘘でも好きだよと言えない私もしょうもない女なんだろうか。

あーめんどくさい。

嘘も方便で、そこで可愛らしく振る舞うべきなんだろうか。でもなんかそれをやってしまったら、自分の心が死ぬような気がする。

夫婦という近い距離だからこそ、ごまかすのが難しい。自分の気持ちも相手の気持ちも。

でも真っ正直にぶつかったら破綻する。家の音に関しては、なんかそんな気がするんだ。

殻を破らなきゃいけないんだろうけど、破り方を間違うと一生後遺症に苦しみそうな予感がする。

世の中の夫婦はどうしているんだろう。

 

 

日本人の自己肯定力が低いのは、母親の自己肯定力が低いからではないか

食べ散らかったテーブル

床に散らばったサラダの葉っぱ

リビングのソファーに脱ぎ散らかされた服

床に散らばったレゴ

遊びに飽きて泣きじゃくる次男

 

これをどうにかしなくちゃなあ。どこから手をつけようかなー。を考えながら、表題のようなことを思いました。

 

私は長男が食べ散らかすのも見ていたし、夫が上着をソファーに抜きしてるのを見ていた。

でもそれを咎めるのをしなかった

私が後で片付ければいいや。そう思ったから。

最初の頃はいちいち怒ったりしていたけれど、だんだん諦めにも似た気持ちで、もう自分がやればいい自分さえ我慢すればいい、そんな風に感じるようになり、言うことが億劫になってきた。

こういう母親を見て育った子供は、潜在的に自分もそういう風になっていてしまうんではないか。

日本人の自己肯定力が低いのは、母親が我慢する子育てが当たり前で、その母親を見た子供が無意識に自分もそういう行動をとっているからなのではないか。

チームの中で、自分のwantを主張すること苦手なのは家族のあり方に原因があるんではないか。

ぶつかっても喧嘩してもどんどん新しいことにチャレンジしてほしい、そう子供に願うのなら、まずは自分の感情を家族に向けて開放することをしていかなくてはいけないのかな。

できてないけど。

 

しないことをほめるのは危険なのではないか

先月3歳になり、やんちゃなことをすることが増えてきた息子。

最近、しないことばかりを褒めている気がする。

大人しくて何もしない子供って、大人から見て育てやすい。と言うか扱いやすい。

いわゆるいい子。

幼稚園の先生からしても、学校の先生からしても、大人しく言うことを聞いて意見を言わない子は扱いやすいから、基本的にはいい子としてスルーされていく。

しかし社会に出ると、大人しく言うことを聞いて何も言わないということは、ただの使えない人間になる。

これが若者の社会不適合者を増やしている原因なんじゃないかと思う。

 

失敗しても、周りに迷惑をかけてもいいから、挑戦したこと、やったこと、自分の好奇心に基づいて自分の意思で動いたこと、それがとても素晴らしいことなんだって伝えてあげたい。

できてないけど。