夫との大喧嘩
昨日夫と喧嘩をした
事の顛末は以下の通りだ
夫は残業で多分11時頃帰宅。私は上の子のお迎えに行き一の子と一緒にお風呂に入れ、ご飯を食べさせ、歯磨きをさせ、寝かしつけたのが9時頃。
その後起きて食器の後片付け、洗濯をやろうと思っていたが、そのまま寝落ちしてしまった。
我が家の分担では、食器洗いと洗濯は一応旦那の仕事になっている。
昨日は洗濯物も数が多かったし、旦那も残業だったから、旦那が帰ってくる前に私がやろうと思っていたのだが、うっかり寝落ちしてしまって、夫が乱暴に洗濯物を干している音で目が覚めた。
洗濯物ありがとうごめんね。一緒にやろう。
と言っても、いいから寝ていろと取り合わない。明らかに不機嫌。とりあえず居場所もないので布団に戻った。
その後一人でだいぶ飲んだらしく、
寝室に私を起こしに来て、酒臭くなり真っ赤な顔で、あんたは俺のことを愛してない好きじゃない、自分はこんなに好きなのに何で好きって言ってくれないんだと、延々と言ってくる。
いきなりなんだよ?はい、正直好きじゃないです。
ここからは私の推測だけど
私が洗濯と食器をの片付けをしていなかったことで、自分がやるのが当たり前と思われてることに対して腹を立てたんだろう。でもそんなこと言ったら自分の器が小さいことがばれるから、やることが当たり前と思われている=大事にされてないという図式にして、私があなたを大事にしてないのが悪い、好きって言わないのが悪い、モチベートしないのが悪い、と言ってきたということこだろう。
好きどころかネチネチそんなこと言ってくる奴なんてむしろ嫌いだ。
俺のこと好きなのか?何十回も聞かれた。
でも絶対好きとは言いたくなかった。
嘘はつきたくなかった。
でも正直に私の気持ちを言えば全てが壊れると思った。
だから黙っていた。
そしたら自分の部下の話を引き合いに出してきた。
その使えない部下は自分の意見を言わないと。
自分が何か言うまでずっと待ってると。そして自分が何も言わなければそれでおしまいなのだと。
あんたも一緒かと言われた。
なんだよ煽ってるつもりか?乗るかよそんなに。と思った。その部下だって正直に言えばあんたとの関係が破綻すると思って言えないんでしょ。どっちが上とか下とかではなくて、同じプロジェクトを進めてる者同士で人間関係が破綻した時のデメリットを考えてその人は思うところを正直に喋れないんでしょう。そうやってまた理詰めにして、相手は悪いことにして、追い詰めてるんでしょう。
部下の気持ちめっちゃわかるかわいそう。
そもそも食器洗いも洗濯物も私がずっとやっていた。
やるのが当たり前と思われながらやっていた。
だから分かるよ。夜みんなが寝静まった後に、一人で起きて、ぐちゃぐちゃになったシンク綺麗にして、ぐちゃぐちゃになった洗濯物を仕分けながら、何とも言えなく虚しくなる気持ちは。
そこで私が冷静に話し合いをしたよね。
このままでは気持ちがしんどいから家事を分担したいって。方法を一緒に話し合おうって。
あんたがそこで、その虚しさを全部私のせいにして理屈で追い詰めてくるわけね。
ほんとしょうもない男だな。
そこで嘘でも好きだよと言えない私もしょうもない女なんだろうか。
あーめんどくさい。
嘘も方便で、そこで可愛らしく振る舞うべきなんだろうか。でもなんかそれをやってしまったら、自分の心が死ぬような気がする。
夫婦という近い距離だからこそ、ごまかすのが難しい。自分の気持ちも相手の気持ちも。
でも真っ正直にぶつかったら破綻する。家の音に関しては、なんかそんな気がするんだ。
殻を破らなきゃいけないんだろうけど、破り方を間違うと一生後遺症に苦しみそうな予感がする。
世の中の夫婦はどうしているんだろう。
日本人の自己肯定力が低いのは、母親の自己肯定力が低いからではないか
食べ散らかったテーブル
床に散らばったサラダの葉っぱ
リビングのソファーに脱ぎ散らかされた服
床に散らばったレゴ
遊びに飽きて泣きじゃくる次男
これをどうにかしなくちゃなあ。どこから手をつけようかなー。を考えながら、表題のようなことを思いました。
私は長男が食べ散らかすのも見ていたし、夫が上着をソファーに抜きしてるのを見ていた。
でもそれを咎めるのをしなかった
私が後で片付ければいいや。そう思ったから。
最初の頃はいちいち怒ったりしていたけれど、だんだん諦めにも似た気持ちで、もう自分がやればいい自分さえ我慢すればいい、そんな風に感じるようになり、言うことが億劫になってきた。
こういう母親を見て育った子供は、潜在的に自分もそういう風になっていてしまうんではないか。
日本人の自己肯定力が低いのは、母親が我慢する子育てが当たり前で、その母親を見た子供が無意識に自分もそういう行動をとっているからなのではないか。
チームの中で、自分のwantを主張すること苦手なのは家族のあり方に原因があるんではないか。
ぶつかっても喧嘩してもどんどん新しいことにチャレンジしてほしい、そう子供に願うのなら、まずは自分の感情を家族に向けて開放することをしていかなくてはいけないのかな。
できてないけど。
しないことをほめるのは危険なのではないか
先月3歳になり、やんちゃなことをすることが増えてきた息子。
最近、しないことばかりを褒めている気がする。
大人しくて何もしない子供って、大人から見て育てやすい。と言うか扱いやすい。
いわゆるいい子。
幼稚園の先生からしても、学校の先生からしても、大人しく言うことを聞いて意見を言わない子は扱いやすいから、基本的にはいい子としてスルーされていく。
しかし社会に出ると、大人しく言うことを聞いて何も言わないということは、ただの使えない人間になる。
これが若者の社会不適合者を増やしている原因なんじゃないかと思う。
失敗しても、周りに迷惑をかけてもいいから、挑戦したこと、やったこと、自分の好奇心に基づいて自分の意思で動いたこと、それがとても素晴らしいことなんだって伝えてあげたい。
できてないけど。
敬語が苦手な私。
敬語うまく使えなくて悩んでいた。
明らかに目上の人とか、ビジネスでの付き合いの人とかにはちゃんと使える。
問題は仲良くなりたい人にどうしたらいいのか。
ちゃんと敬語で話すとよそよそしくなっちゃうし、かといってタメ語で話すほどまだ距離が近いわけでもない。
敬語を崩すタイミングというのかなあ。
さん付けで呼んでいたのをちゃん付けとか呼び捨てにするタイミングが難しいのと同じように。
でなんとなく最近を分かったのは
敬語でなくても相手に敬意を持って接していればそれはちゃんと伝わるんだなと。
相手のことを思って寄り添う持ちで接していれば、敬語でなくたっていいんだって思えた。
たとえ綺麗な敬語を使っても相手を下に見ていたり、雑な気持ちで接していれば、それはちゃんとそういうふうに伝わってしまうんだろう。
気負うことなくコミュニケーションしていきたい。
一人になる時間が欲しい
上の子が3歳、下の子が0歳7ヶ月
下の子がなかなか寝なくて夜も2時間おきには起きている。
夫も協力的で夫が休みの時は積極的に2人を見てくれている。これ以上ないくらい恵まれているとは思うのですが、家の中で1人になりたいと強く思います
子供が寝付いた後に一人で台所で本を読んでいたりラジオを聞いていたりする時に、何してるのと夫から声をかけられることが非常に苦痛です。
一人にしておいてといえば多分そうしてくれるとは思うのですが、それを言うのがなんとなく辛い。どういう今言い回しにすれば彼が傷つかないかなと考えることがめんどくさい。
とにかくもう夫の気配を感じないでゆっくりしたい、やりたいことをやりたい。
夫の部屋はあるのに私の部屋はないのも原因の一つかな。
いろいろ限界で今日は子供を寝かしつけた後に家を飛び出してきた。
コンビニの駐車場で車を止めてラジオを聞いている
そろそろ下の子が起きるから帰らなくては。
Google の音声入力がすごくいい
そこで Google の音声入力がとても良いということを知ったので試してみました
これも Google の音声入力で入力していますが本当にストレスなく喋るだけで全て間違いなく文字に配列されることに驚いています
時代はここまで来たんだなあという感じです
フリック入力やテンキーボードで入力するよりもはるかに誤字脱字が少ない
スマホを使う生活になってメールや LINE のために文字を入力するという機会はとても多いのですが、なかなか言葉でしゃべるという機会が少ないので、考えたことを言葉通して話す訓練にもなっていると思います
これを使えばブログの更新も今までよりも敷居が低くますね。
稚拙な内容でも毎日更新することを目標にしたいと思います
今は子供は小学校から英語が必修ということでいろんなところから幼児教育早期教育の案内ひっきりなしにもらうのですが、こんなに音声認識が発達しているなら私達の子供が大きくなる頃には、スマホに話しかけるだけで自動的に翻訳できるなんて時代は間違いなく来るような気がします。
勉強するにしても、今は日本語で話しかけているけれども、英語で話しかけることでスピーキングの練習にもなるだろうし。正しい発音を聞きたければ、洋画も洋楽もインターネットを通じていくらでも見ることができる。
Skype でオンライン英会話何て言うのもかなり安くありますしね
ますます英語って学ぶものじゃないなと思います。
学びたいと思ったことが自由に学べる時代がもう来てるんだなあと思います。学校の意義や意味、これからの教育について、色々考えてしまいますね。
野菜と子育て
今年の夏、庭で野菜を育てました。
なす、ピーマン、ミニトマト、まくわうり、ゴーヤー
野菜のお世話をできるのは子供が昼寝してる間だけなので、ほぼ放置状態で。
毎日ちゃんとできたのは水やりくらいで
お野菜の苗達はたくさんの雑草に埋め尽くされてしまいました。どこにあるのかも分からないくらい。
こんなんじゃもう実はならないかなーと諦めつつ水だけあげていたら、最近になってみんな実をつけだしてびっくり。
背丈も伸びていなかったのに、人知れず一生懸命成長していたんだなあ。
生き物は、周りがどうこうしなくても、きちんと自分で成長していく力を持っているんだ、と改めて思いました。
育てるというより、育っていくのを邪魔そうなものを見極めて取り除いて、環境を整えてあげること。私にできることはそれくらいしかないんだなあと。
子供も、同じなのかなあ。と。
ごはんをキレイに食べてほしい、挨拶できるようになってほしい、優しい子になってほしい、
いつの間にかそんな私の願望を息子に押し付けていたような気がします。
そんなことは息子が自分で学んでいくこと。
自分に必要だと感じたときに、自らのタイミングで学ぶはず。
野放しにするわけではなく、私にできることは全力で環境を整えること。
私が伝えたいことを息子が学べる環境を整えること。
言ったって無駄なんですよね。
自分で感じないと。
そういう意味では、子供も大人も一緒で、人間ってそういうものだと思います。
子供に必要性を感じさせるにはどうしたらいいか。
試行錯誤。創意工夫。
育児はいつも頭が大回転です。